無限堂野次馬本舗

アクセスカウンタ

zoom RSS 鉄道界の鉄人・南海6000系遂に置き換えへ

<<   作成日時 : 2018/07/11 07:30   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1962年の登場から2018年で56年。あの不死身の鉄人で有名な南海6000系が、遂に8300系タイプの車両に置き換えが決まったそうです。車両の建造を決め、そこで生まれたのは東急初代7000系、京王帝都(現・京王電鉄)3000系、南海6000系で、ステンレスは加工がし難い為、東急初代7000系は直線構成でしたが、京王3000系は先頭上半身をFRPにし、ステンプラカーと呼ばれました。
画像

画像

画像

画像

そして、南海6000系はセミステンレス車両だった岳南(最終所属は大井川鐵道)モハ1105号と同様に、曲線部はステンレスの比率を下げた鉄板を使用しました。

高度経済成長期の南海高野線へ平坦区間で活躍
画像
南海6000系は発電抑速ブレーキが無かったのと車体限界から三日市町以南の山岳線には入線出来ず、
画像
高野線の難波〜三日市町間と汐見橋〜岸ノ里(現・岸里玉出)間の汐見橋支線で活躍し、更に1971年以降は大阪府都市開発泉北高速鉄道線にも乗り入れる様になりました。

三日市町以南の線形改良・複線化と長編成化工事
画像
昭和50年代に入り、三日市町〜橋本間の複線化計画が立ち上がり、それに伴い6000系も山岳地帯走破の為、抑速ブレーキの追加と平坦区間の10両連結を可能にすべく長編成対応工事が行われ、一部車両は方向幕が設置されましたが、冷房化される迄未使用だったと記憶しています。同じ台車を使った6100系とのみ混結が行われました。

林間田園都市へ延長運転と漸く冷房化
1983(昭和58)年に三日市町〜林間田園都市間大型複線化が完成し、区間急行も漸く延長運転が達成されました。

そして台車の構造上の問題で見送られた冷房化も1985(昭和60)年から始まり、方向幕設置と使用開始、台車は一部新調と旧1001系からの廃車発生品の再用が行われました。
画像
なお、1985(昭和60)年に汐見橋〜岸ノ里(現・岸里玉出)間の汐見橋線が高架工事で分断される事になり、6000系・6100系の2両運転が撤退し、本線系支線釣掛駆動の1521系!へサービスダウンし、以後2両編成は増結がメインとなりました。
橋本まで大型化と塗装変更
平成に入り1992(平成4)年に橋本まで大型化が達成されましたが、御幸辻〜橋本間は大幅な付け替えを要する為、単線のまま改良し、これで大型車両も橋本まで辿り着き、同時に急行も大型化が始まりました。
画像
1994(平成6)年の関西空港開港に備えCI戦略で塗装統一が決まり、無塗装だった6000系も塗装され、青と橙のラインカラーが入り、この頃から増結車両の運転台撤去も行われました。
1両の廃車も出すこと無く時は流れた
1997(平成9)年に御幸辻〜橋本間の付け替え複線化が達成され、難波〜橋本間の急行も大型化が進みました。
その後6000系のVVVFへの換装も検討されましたが、此方は実現しませんでした。
1両も廃車が発生する事無く2012年には遂に車齢も50年を突破し、正に不死身とも鉄人とも揶揄されましたが、それだけ接客面も陳腐化してしまいました。
不死身の鉄人遂に置き換えへ
そんな中、2018年の事業計画で遂に6000系の置き換えが決まり、鉄人も遂に交替の時を迎えました。後継車両は現行の8300系タイプの車両で、ステンレス故に置き換えが少なくて済んだ反面、接客設備の陳腐化で本線との格差も出、本線優遇高野線冷遇の事態も起きました。
無事故で全車引退を迎えられれば本望です。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
鉄道界の鉄人・南海6000系遂に置き換えへ 無限堂野次馬本舗/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる