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zoom RSS 日本のテレビ局に於けるネットチェンジ 3・大阪テレビ→朝日放送&新日本放送→毎日放送 

<<   作成日時 : 2017/05/17 16:00   >>

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第3章 大阪テレビ→ABC朝日放送 日本テレビ系&TBS系クロスネット→TBS系→NET(現・テレビ朝日)系&新日本放送→毎日放送 NET系→TBS系 
新聞社の思惑に引き裂かれた腸捻転ネットチェンジ
第3章は最も有名なネットチェンジと言える、関西の朝日放送と毎日放送となります。
1節 ABCとMBSの複雑な生い立ち
1956年、関西のテレビ局は朝日放送ラジオと新日本放送(後の毎日放送)ラジオが共同出費した大阪テレビが日本テレビ系とTBS系のクロスネット局としてスタートしました。
その後、1962年に読売テレビが日本テレビ系単独ネット局として独立し、必然的に大阪テレビはTBS系列となりました。
その後、新たに関西地区のテレビ局の免許が割り当てられ、朝日放送と新日本放送のどちらかが獲得を目指しましたが、開局条件に「どちらかが大阪テレビを引き取る様に」との行政指導があり、1964年に新日本放送がテレビ局を開局し毎日放送と改称、大阪テレビは朝日放送と合併し、引き続きTBS系の放送となり、毎日放送もTBS系を希望するも叶わず、またフジテレビ系にも袖を通され、当時の弱小テレビ局だったNETに落ち着きました。
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TBS→NET→テレビ朝日を無視して続けた日本最長の刑事ドラマの連続アクチュアルドラマ・部長刑事
TBSーABCで最強の民放ネットワークが完成し、TBSの黄金時代を築くも、既にTBSを無視して最終的に日本最長の刑事ドラマとなった部長刑事が放送されていました。
2節 激動の胎動 
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朝日放送との協力で実現したウルトラマン大阪ロケの怪獣殿下(上)と今は亡き大阪タワー(下)
 '60年代に入り、テレビ=新聞資本への一体化が進み、TBS=毎日新聞、NET=朝日新聞となり、関西は逆構成の腸捻転になり、MBSはTBSに参加したいのと、弱小ネットと言えどABCをNETに組み入れたいと考える様になり、既に民放最強ネットだったABCにはNETへのネットチェンジは有り得ない選択でした。朝日新聞&NETの要望にABCは再三拒否を続けました。
3節 腸捻転ネットチェンジ実施
 この動きに対し政治家も関与する様になり、間接的に決定打となったのは1973年にアメリカで起きたウォーターゲート事件で、当時のニクソン大統領はTV局に圧力を掛けるも、新聞メディアがニクソン大統領のスキャンダルを暴露し、ニクソン大統領は失脚しました。
この出来事が日本の政治家に与えた衝撃は大きく、朝日新聞の力を利用して1975年4月MBSがTBS系にABCがNET系にそれぞれネットチェンジとなり、ABCは朝日新聞に屈した事になり、ネットチェンジが決まった時ABCの某幹部は号泣したそうです。(但し、ABCラジオは今でもTBSラジオ系の関係を維持しています。)
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念願のTBS系列局にネットチェンジしたMBS・毎日放送
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一方のNET系列にされたABC・朝日放送は不満が多かった
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当時配布されていたMBSとABCの新ネット番組表
ABCから当時の人気番組ナショナル劇場と8時だよ!全員集合がMBSに、NETへ必殺仕事人シリーズがそれぞれやって来た一方、ウルトラマンレオは腸捻転ネットチェンジの影響で3クール打ち切りが回避されるも次番組を予定していたロボットアニメはNETへ移籍し勇者ライディーンとして放送されたのと、1年間ペンディングの末、翌年別枠でUFO戦士ダイアポロンとして放送されました。
また、はじめ人間ギャートルズはNETへ移籍した為TBS系の大半で打ち切りになり、後日別枠で再開した局もあり、仮面ライダーアマゾンは急遽打ち切りになり、TBSへ移籍の上、当初は5人組の仮面ライダー・5人ライダーが企画されるもMBSが拒否し、仮面ライダーストロンガーとしてスタートするも3クール打ち切り、アニメ破裏拳ポリマー、ジムボタン、ジャングル黒べえはそれぞれ打ち切りになりました。
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ライダーを失ったNETは代替にストロンガーに敗れた5人ライダーの企画を手直しし秘密戦隊ゴレンジャー(写真上)を開始、今でも続くスーパー戦隊の始祖となり、ABCはパネルクイズアタック25(写真下)を開始しました。
4節 その後とネットチェンジの功罪
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漸く悲願のネットチェンジを果たしましたが、MBSはTBS系列になったにも関わらず、ファーストガンダムを打ち切りに追いやった程の人気番組だったまんがはじめて物語(写真上)と、平成に入り社会現象にもなったイカすバンド天国を有した平成名物TV(写真下)をネットせず、個人的には憤った一方、まんがどうして物語となるほど物語はネットされましたが、どうして物語は1クールで打ち切り、平成元年から2年間フジテレビ系関西テレビで完全再放送され、なるほど物語も2ヶ月遅れのまま打ち切りで、こちらも関西テレビで完全再放送されました。はじめて物語は87年夏に漸くKBS京都でまんがおもしろタイムトンネルに改題され短期間放送されました。また、今でも春の選抜高校野球大会の時はTBSの番組が休止となります。
ABCはNET→テレ朝になっても相変わらず部長刑事の放送が続き、テレ朝から再三打ち切りの勧告を拒否し続けましたが、2002年春に漸くテレ朝の勧告に応じ終了し、そのトバチリでゴレンジャーに始まった土曜7時半枠は土曜夕方6時→後に土曜夕方5時、メ〜テレアニメ枠が金曜夕方5時(最終的には金曜夕方4時25分スタートに繰り上げ)、テレ朝土曜夕方6時枠は金曜夕方5時半からそれぞれ先送りネットとなり、夏の高校野球大会はテレ朝番組を無視して今でも放送しており、82年夏には戦闘メカザブングルのトロン・ミランのエピソードが未放送になり、2017年のサンテレビの再放送で漸く初放送となりそうです。
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また、テレ朝第一期黄金時代の立役者だった平日午前中の帯クイズ番組・百万円クイズハンター(写真上)、土曜昼の独占!女の60分(写真下)、テレ朝金曜夕方5時半のロボットアニメ、87年秋から半年間ゴールデンタイムで放送された米製ヒーロー番組キャプテンパワーは当時の独立U局のKBS京都とサンテレビでネットされ、87年秋から2年間放送されたパオパオチャンネルはネットされませんでした。
このネットチェンジの功績にして罪は表向きはテレビ局の力の均等化、裏は当時最強だったTBS−ABCのネットを切り崩し、長期的にはTBSの弱体化に成功し、新聞社が政治家に魂を売る愚行と言え所謂マスゴミへの転落の始まりとなりました。
このネットチェンジでいとも簡単にマスコミは政治的圧力に屈し易くなり、ある意味1975年は日本のテレビメディアが死んだ年かも知れません。
追伸 一部文献でMBSの本来のネット局がTBSやABCの本来のネットチェンジがNET(テレ朝)と書いているのは半ば心外で、本来テレビと新聞は別個のメディアです。

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